2013_02
25
(Mon)09:47

稽古 覚書1

先日3日通して集中稽古を行った。その時あらためて感じたこと

1.健心流は勝ち負けを争うためのものではなく危険や災難から身を守る護身の術を身につけることを目的とする。

2.稽古はとっさの時に反応出来る体を作ることを目的とする。

3.稽古の仕方は力の流れを感じ感覚を養うように行い、相手を倒すことに終始して闘争心に飲み込まれ力ずくで行なったり感情的にムキになったりして衝突してはならない。

4.術(わざ)はこちらから先に手を出すことはないが、かといって受身ではない。身に降りかかる火の粉を振り払うごとく術は迷いなく積極的な気持ちで発動する。

5.術(わざ)をかける際は躊躇してはいけないが相手に危害を加えるものであってはならない!稽古においては相手を傷つけないよういたわる気持ちが必要である。

6.上手になる秘訣は方向を見失わず楽しく稽古をすることである。
2011_08
15
(Mon)07:00

稽古で好ましくないもの

稽古で好ましくないものがあります

必要以上に相手の関節を極めたり
傷つけたり壊したりしてしまうようなことです
そんな稽古は 人の関係を壊す心 が宿るからです
たとえ勝負に勝っても遺恨を生じるような結末は次の争いの種をまくことになります

身を守る術のための稽古で身を傷つけては意味がありません
稽古に無理があったり不愉快であってはならないです。
2011_08
13
(Sat)00:00

ガチの稽古はしないのか?

素朴な疑問ですが
稽古で本気で挑んだり投げられまいとする相手と
ガチの稽古はしないのか? 

挑んだり逃げたりする者に掛けるわざの稽古は
わざが未熟なうちはやらない方がいいと思います。
未熟な段階でそのような稽古をすると、我がでてしまい
倒すか倒されないかという勝負の心が先攻し
術が雑になり力任せになりがちです
下手をすると変な癖がついてわざの体得から遠ざかってしまいます。
そのような稽古は互いが〇〇〇で〇〇の
レベルになったところからする方がいいと思います。
但し、時々自分のレベルを客観的に判断するために時々は必要だと思います。

2011_05
21
(Sat)23:45

健心流のわざに対する考え方

健心流の「わざ」は力やスピードをつけたり型を覚えることではない。体の使い方に秘密がある。
体の使い方が変われば、今身についている型がさらに生きる。

本来の武術は勝つか負けるか(生きるか、死ぬか)の場面のために生まれてきたものである。
戦う相手に動きが見切られたり手の内がばれたりするようなものであってはならない。
武術のために一生を費やした故人の知恵がある。
見える動きより見えない動きへ、無駄な動きは削ぎ落とされ質は極まり・・・
・・・動きは体の中へ中へと移っていった。

健心流は古(いにしえ)の武術を今に体現するものである。
本に出てくる伝説的な技も理解できる。

今日では武術や技は戦(いくさ)や刀から身を守るためのものではない。
しかし、いつの世も「生き延びる」という本質は変わらず現代でも必要な技がある。
健心流の「わざ」はより良く生きるための技である。
病や怪我から身を守ることも護身の技である。
ストレスなどの心の問題からも身を守る必要もある。

心と体は一見別々のようだけれど、動く以前に心の動きがある。
体術による体のコントロールは心のコントロールでもある。

本物の技は歳を重ねても衰えない。
たとえ力では勝てない相手でも技で勝負をすれば力に屈することはない。

健心流では はそういう「術」(わざ)を稽古いたします。