2013_08
29
(Thu)07:00

武術的「気」の考察

先の気の感応現象に続き今回は武術的「気」の考察です。

動画で行っているのはある条件のもとで人は視覚により影響を受けてしまうと言う実験です。
動画は一番下より

ガソリンスタンドの洗車機で自分の車は止まっているのに洗車機が動くと
あたかも自分の車が動いているように感じた事はないでしょうか?
人の感覚というものは意外と錯覚におちいりやすいものです。


人は外界からの刺激や変化に対して反射で動く場合と意思で動く場合があります。

反射は
何かとっさに起こったことに本能的に体を守るため勝手に反応する早い動きです。
あまり後先のことは考慮されず自動で行われます。
例えば虫のようなモノが飛んできて目に入りそうになった場合は反射的に目をつぶります。

意思で動く場合は
反射に比べ考える時間のある場合に自らの意思や思考を伴って行動を起こします。
例えば石につまずいて転びそうになったときとっさに足が出るのは反射ですが
出そうとする足の前に水たまりがありそれをさらに回避して足を出したとしたら
これは思考(意思)が関与した行動です。
反射に比べ意思が伴う行動は刻々と変化するものを判断し対応できる判断時間猶予のある行動です。


「ハッ」と驚いたり、突き飛ばされて転びそうになっている最中
頭は空っぽな状態(パニック状態、虚の状態)になります。
その空っぽの状態は普段の思考は停止しある意味無防備な状態になっています。
その自らの意思の関与が薄くなっているとき
反射運動の方が優位になると思われます。

このパニック状態は同じ刺激を受けたとしてもそのパニックの程度には個人差が有ります
感受性の過剰は時として動きを制限したり、
判断力を欠如させるため武術的にはマイナスに働く場合があります。
しかしこのパニックになるしきい値は後天的な訓練によって変えることができ
パニックに陥るのを押さえ冷静を保つようにすることが可能になります。
またその逆に後天的な学習でパニック状態になりやすくなることもあります。


思考より反射優位の状態で
急な態勢の変化を強いられた場合(例えば地面が不意に動くなど)
三半規管(重力感知、加速検出)が平衡感覚を失うと視覚により平衡を保とうといたします。
そのときよりどころとしている視覚の対象が動いたり
注意を向けているものから指示が出されたりすると
意識に上らず反射的に影響を受けて動作に反映してしまうということです。


真剣勝負において
相手の中心を感じるような感覚の者が相手と対峙すれば
少しの重心の変化を感じとって攻防するはずです。
もし長けた術の使い手ならこの感受性の高さを逆手にとって
相手をほんろうして自分に有利な展開を生み出したことでしょう。

この触れずに相手を誘導する術は
空間で相手の中心を取るような中心感覚を持ち合わせた熟練者には有効ですが
相手をあまり見ないで盲滅法に突進してくるような相手にはかからない技です。

健心個人の意見ですが
この相手の虚をついて脳のパニックの起こっている状態に暗示をかける術は
誰にでもかけることができるという普遍的なものではなく。
受け手のパニックの度合いや術者と受け手のレベル差や
受け手の潜在意識への刷り込み(パブロフの犬の実験で見られる条件反射)の度合いによって
かかり具合に差が出ると思います。

一見魔法のように見える術もある条件の下で誘発されます
人間の生理的、構造的、心理的(精神的)システムの上に成り立つ術であると思います。

それゆえ、体術で技が成り立つのが術者が受け手の技量より優位の時であるように
「気」による術も
術者が受け手に対し優位の立場があるとき発現するものであると思います。


以上武術的「気」の考察ですが


「気」というものについて健心個人の解釈を付け加えると

「気」はテレビで取り上げる摩訶不思議な現象をだけを「気」というのではなく
ごくごく身近な当たり前のことにも「気」の仕業であると思います。

例えば、向こうから苦手な方(例えば:いかにも怖い感じの方など)がやって来たとします。
その時こちらに緊張が走ったり、警戒心が芽生え脈が早くなったとしたら
向こうの発するものに影響を受けてこちらの「心」や「体」が動いたのです。
紛れもなく発っせられた「気」によって動かされたのです。

つまり視覚情報も離れた相手の心を動かすのに十分な媒体なのです。

つまり見えないもの、触れないことだけを「気」というのではなく
触れていようが離れていようが
実感出来る五感を含めそのほか(電磁波、引力、その他)情報伝達する媒体があれば
互の個体の心や(脳)体にが影響を与える存在はすべて「気」だと思います。

情報媒体どころか、東洋思想では宇宙に充満している「気」というものは万物の一番の素で
空間、分子、原子、電子、エネルギーすべてをも構成する「おおもと」(素粒子)で
その「気」が凝縮すると物質や生命や体となり、人の意思や念をも作っているとされています。

「気」は個体でもあり意識でもあり情報の媒体でもあるわけです。
「気」は特別な超能力みたいなものだけを指していうのではなく
ごくごく身近な当たり前のことも「気」で出来ているのです。

例えば
音楽を聴いて感動、絵を見て共感、テレビドラマで涙する、お笑いを見て笑う、うまいものを食って幸せ、風にあたって風邪を引く、マッサージで気持ちいい!、フェロモンを嗅いで恋に落ちる・・・

視覚も含め心や体を動かすものは全部「気」の仕業なのです。


動画はこちら





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2013_08
20
(Tue)18:50

気の感応現象

「気」の感応現象

最近御縁があって気功をされている武術家でもあるお坊さんとお会いしました。
それにちなんで武術や治療において関わりのある「気」についての考察いたします。
動画は下に

私個人は「気功」などの「気」というものはあると考えています。

1990年代の気功ブームのころ
テレビでは「気」で病を直したり人を動かしたりと派手なパフォーマンス
が取り上げられました。
好奇心旺盛な私もそれにもれず気功を習いにいきました。
私もなんとかですが離れた相手を動かすことができるようになりました。
これは凄いことではないでしょうか?
しかし少しコツをつかむと誰でもある程度の事は出来るようです。

自分でやっていながらもこの人を動かす「気」は
本当に「気」の存在なのかどうかいつも半信半疑でした。
人が動くとき先入観や暗示的な関与が拭えないからです。

でも、「気」の存在をはっきり確認する出来事がありました。
バイト先で猫が休み時間に私の膝のもとに来て眠りに入りました。
猫にも「気」は届くのか好奇心で手をかざしました。
すると猫の片方のほっぺが痙攣するようビビビっと動きヒゲが激しく震えています。
今度は足に向かって意識を集中すると同じく猫の足がビビビっとつったように震えます。
どう見ても普通ではない動きです!
猫はなんだ?というように目を覚ましあたりをキョロキョロします。
面白いので何度もするうち猫は寝るのを諦めて行ってしまいました。

私が「気」の存在を確信した瞬間です。

普通の起きている状態では安易に他人から自分が操られないよう
「気」に対するバリヤを張っているようです。
ところが安心して身をゆだねて無防備な状態になると外部からの「気」の影響を受けやすいのです。
それは猫に対して人間の「気」であってもです。




「気」を武術的に運用して相手は倒せるか?という素朴な疑問ですが
私のレベルでは無理です。

テレビ取り上げる「気」で人を飛ばすような現象は
すべての人に対して起こる現象でしょうか?
いくら「気」を送っても受ける側に気に対する感受性や受ける気がないと
飛ばす程の影響を与えるのは難しいと思います。

しかし世の中には私の想像を超えた能力をもった方がいます
相手の受信拒否を上回る圧倒的な送信力の持ち主、
あるいは拒否する相手の心を従順にしてしまう能力があれば可能では、という期待があります。



さて動画の考察ですが、
術者と受け手が素直に受けるという条件のなかで
触れずに相手を動かす事の検証です。
(この作用は誰にでもちょっと練習するとできるようになります)

「気」は目には見えない電波のような媒体で
送信側と受信側があって現象が起こるものだと思います。
(ラジコンカーみたいな関係です)
術者が発した「気」が受信機としての受け手に伝わります。
特に背中側は視覚による情報がないため余計に「気配」などを感じる感覚が
敏感なのではないでしょうか?

受け手を物理的に引力や磁力のようなエネルギーで引きつけたのではなく
あくまで受け手の筋肉や神経を司る中枢(脳、三半規管)に
本人の意思以外の操作がなされ、神経や筋肉が動いた(乗っ取られた)からだと思います。

ですから生物でないものを触れずに動かす「サイコキネシス」ではなく
「テレパシー」(通信力、精神感応)の類だとおもいます。

この情報操作は、催眠術のかかりの良い悪いがあるように
本人が強く拒んだり、受け手の注意が他に行って「気」が媒体として使えないときは
操作できないようです。


私の個人的意見ですが「気」と言う媒体は存在するが
期待するほど万能ではないと思っています。
逆らう相手を触れずに倒すより触れて倒した方が効率が良いと思っています。

そして相手を動かす事ができるということイコール病を治す事ができるというのも
飛躍した考えだと思います。

自身も「気功」で何度か病を治すことを試みました
私のレベルでは全てに効果があるとは言えません。

「気」にもいろいろな質があって武術用や治療用、
またそれぞれに深さというかレベルや精度があるはずです。
みんな一律同じ効果や量であるはずがありません。
どの技も同じように使う人のセンスや鍛錬でそのレベル差があります。

「気功」による治療は神秘的で何か次元がことなる高尚なことに思われますが、
扱うときは人を介して行われます。

発する「気」もその人のフィルターを介して発せられるので
扱う人の思いや人格、器など人間性に伴ったモノが出ていることでしょう。

どんなにすごい「気功」と言われても人間的に相性の悪い人からの「気」は
やっぱり合わないのだとおもいます。

そうです「気が合わない」です。

「気功」で体を自然に動かせるから神秘の力だとして絶対的な信用をさせ
治療の効果もあると思わせ治療する気功師もいるようです。

自然な状態で人の病が治るとき
例えば風邪や捻挫でも治癒するときは
患部に血液がめぐり栄養と酸素が運ばれ、不要な毒気は咳や痰、
汗その他いろいろな方法で自然に排泄がなされ
炎症のある患部は静かに治り、体に害のある菌には免疫を作り備えます。

決して体の関節のあちこちがぐるぐる意思とは関係なく動いて治るわけではありません
「気功」によって治るプロセスもこの体の治癒力を引き出すことが一番の目的のはずです。
本人の持つ治癒力以上の力を与え強制的に治すとしたらそれはもう不自然で
もはや東洋医学ではなく魔法の領域です。

私は「外気功」であっても治癒を目的とする際は
別に体が動かされる必要はないのではと思っています。

武術的な技が高度になるほど受け手はかけられているという感覚がなくなるのと同じように
本当に治癒力を目覚めさせる「気」は受け手が意識できないほど繊細、精妙で
粒子でいえば細かくなり、受けている感じがしないものだと思います。

脳や潜在意識の生命の深い領域に作用するからこそ効果があるのです。

冒頭で記しました気功をされている武術家のお坊さんの「気」はこの類です
相手を動かしたり吹っ飛ばしたりという派手さはありません。
おそらく治療の際に働きかける「気」とはこんな姿だろうと思います。



手足が自然と動く「外気功」でも治っている例があるとおもいます。


 「外気功」
   ↓
神秘の力で体が自然に動いた
   ↓
  感動
   ↓
信頼+プラシーボ効果(病は気から)
   ↓
身を委ねる
   ↓ 
リラックス
   ↓
副交感神経優位(自律神経のバランスが整う)
   ↓
治癒力の発現!



おそらくこんなプロセスだろうとおもいます。
いずれにしても、治癒力を引き出すことが出来れば治療としては成功です!

患者と信頼関係を結ぶのは治療において必要な条件です。
侮れないとおもいます「外気功」

ただし過信は禁物です。
気功でなんでも治る!誰でも治る! は冷静に見極めたいです。

刺さったトゲは気功で気を送るより手で抜いた方が早いです。

動画はこちら




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